セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味をママなりに解釈したざます
2015/04/26
セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味にスネちゃまが頭を悩ませていたざんす。
セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味をママなりに解釈したざます
セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味
スネちゃまが「ドラゴンナイト」の歌詞の意味がわからなくて困っていたざますから、ママが解説するざます。歌詞の意味の取り方についてはさまざまな議論があるざんす。
・作者の構想のみを唯一の正解とする立場
・聴き手の解釈の多様性を認める立場
なるべく客観性を追及するざますけれど、今回は後者の立場であくまでママの解釈として解説するざんす。
①タイトルについて
dragon nightという英語は英語圏に全く存在しないざます。dragon knight(龍の騎士)という英語なら存在はするざんすけど、日本ではゲームのタイトルやキャラクターにいくつか使われているざます。深瀬慧氏がゲームのタイトルやキャラクターの名前からdragon nightを連想して、どういう夜なのだろうかと想像を膨らませた可能性も多少あるざます。全体として漠然としたイメージや音の響きを採用したタイトルであって言語的な明快な意味はないとママは思うざます。
ちょっと古いざんすけど、ママが聴いていた井上陽水の歌詞に「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう」とあるざます。この「あざむ」というのは実は日本語にない動詞ざんして、井上陽水に言わせれば「ほら!夏に風があざんでるじゃない。あれだよ」ということざますが、ともかく漠然としたイメージや音の響きを表す言葉ざます。
同様にdragon nightというタイトルも確定した意味内容が無いと取るのがママの解釈ざます。
②「今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日」
この言葉はむずかしいところざますけど、深瀬慧ちゃまが「昼」にやや否定的、「夜」にやや肯定的なイメージを持っていると考えるとすっきりするざます。深瀬ちゃまは、中学時代にいじめられたり海外留学に失敗したりと昼間の正(=ハレ)の時間帯についてはそれほど良いイメージは持っていないと思うざます。想像力の豊かな深瀬ちゃまが活躍できるのは夜(=ケ)の時間帯ざます。セカオワも夜中に騒いで近所迷惑になっているくらいざんすから、やや夜に傾いた生活が伺えるざます。
「今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日」というのは、人類に平等にハッピーな時間帯が訪れるときと考えていいと思うざます。
③冒頭の部分ざます
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦の証の炎をともす
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね
これについてはママは真っ先に「イスラム国」のことを思い出したざんす。イスラム国はご存知の通り、アメリカなどに敵対し幼い子どもを含む多くの人の命を奪っているざます。アメリカや日本から見たら到底理解できない「イスラム国」ざますけど、彼らなりの正義があって争い合うのは仕方がない部分があると言いたいのだと思ったざます。
たった一晩でもハッピーな夜を迎え、手を取り合い「友達のように歌い」「友達のように踊る」という anti-war songと考えたざます。
④作詞者の意図
深瀬慧はこの曲の歌詞全体の趣旨について次のようにツイートしているざます。
ドラゴンナイトはどんなに苦しくて辛い事があっても、泣きながら笑顔になれる日が来る事を夢見て作りました。
— Fukase(SEKAINOOWARI) (@fromsekaowa) 2014, 10月 9
これを見るとこの曲の趣旨は「いじめ」や「人間関係のもつれ」はいつしか乗り越えられ、ハッピーな「夜」が来るかもしれない。それに向こう側には向こう側の価値観があり「僕の『正義』がきっと彼を傷つけていた」という内省もこめた歌詞ざんす。
なおライブでは第1次世界大戦のクリスマス休戦がモチーフという発言もあるようざます。深瀬氏は、身近な恋愛の歌詞をファンタジーに広げていくように、世界を広げながら作詞をする癖があるざます。そのため、仲たがいとクリスマス休戦の両方の意味を持っていると捉えていいと思うざますわ。
※編集注 深瀬は単行本『世界の終わり』p200で、「闘いっていうのは別に戦争だけを指しているわけじゃなくて。周りにはいざこざとかトラブルがある中で、やっぱり人は人それぞれで考え方も違う」と述べています。よく読むと戦争を指すことを全く否定しておらず、戦争、トラブル両方の取り方を許容する発言になっています。
冒頭で書いたとおり歌詞にはいろいろな捉え方が許される「稼動幅」があるというのがママの考え方ざますから、ツイッターの内容があったとしても anti-war songという捉え方を深瀬慧が否定することはないと思うざます。ただこの曲が作られたのは2013年で、しばらく死蔵された後に2014年のドキュメント映画「TOKYO FANTASY」の主題歌として起用されたざます。
出典:googleトレンド
イスラム国が始めて話題になったのは2014年5月ざんしたから、少なくともイスラム国を深瀬慧は想定していないといえるざます。
ただ兵士とトランシーバーを改造したマイクといういでたちから、発売に際してanti-war songという捉え方を狙っている可能性も大きいざます。制作時と発売時で意味に二重性がある可能性もあるざます。
また、ドキュメント映画「TOKYO FANTASY」の制作よりずっと前に完成していたことから映画との関係は否定できるざます。
⑤恋愛歌であることを明確に否定
セカオワが2014年に出したシングルは以下の通りざます。
2014年1月22日 スノーマジックファンタジー 年間49位(14万枚)
2014年4月9日 炎と森のカーニバル 年間60位(11.2万枚)
2014年10月15日 Dragon Night 年間49位(11.8万枚)
「スノーマジックファンタジー」は「恋」という言葉が出てくるざんすけど、雪の妖精がお相手ざんすから恋愛の要素は低いざます。「炎と森のカーニバル」は深瀬慧が自分の恋愛について書いたと発言こそしているざますけど「この恋は秘密にしておくんだよ、さもなければこの子の命が危ない」が決めフレーズざますから必ずしも正面切った恋愛歌ではないざます。
「Dragon Night」に関しては、「僕の『正義』がきっと彼を傷つけていた」ありますから、100%明確に恋愛歌であることを否定しているざます。つまり「友達同士」「知人同士」あたりにシチュエーションが限定できるざますから、人間関係のしがらみについて歌っていると考えるのがもっとも客観的かもしれないざます。
これがママの結論ざます。(ママ)
思いのほか深いセカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味
スネ夫君のママの一押しということでdragon nightを聴いてみましたが、なかなか深いものがあるようです。以前の記事(SEKAI NO OWARI (深瀬慧)とは誰か?背後に見られる村上春樹の影)で特に社会派の深い歌詞には軽めの曲をつけるのが米国のスタンダードということを書かせて頂きましたが、dragon nightにも同様の傾向があると思います。
以前の記事に書いたとおり、日本に恋愛以外の歌詞を書くことができ軽妙な曲を付けられるソングライターが登場したことは非常にうれしい限りです。
さて、今回は「制作時と発売時で意味に二重性がある可能性もあるざます」というママの言葉を少し掘り下げてみようと思います。これはどういうことかというと、dragon nightは深瀬慧によって、あくまでも仲たがいした友達同士が手をつなぐ日が来てほしいという意図で作詞された曲ですが、演出としてはやはり anti-war songに見せたいという意図も感じられます。
しかし、そもそもどんな文学作品にもそういった部分はあるのです。例えば徒然草という古典に弓矢を習う人があらかじめ2本の矢を準備して師匠に叱られた話が出てきます。
師のいはく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢になほざりの心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ。」と言ふ。
(現代語訳)師匠は言う。「初心者は矢を二本準備するな。もう一本あるからと、先に放つ矢に心の隙ができる。的中、不的中を想定することなく、毎回この一発で決めてやると思いなさい」
この話は現代においては、仕事や勉強あるいは人生において明日があるこの次があると考えることなく今勝負せよ、という意味だと捉えられています。しかしながら、吉田兼好がこの話を書いたときには単に仏道修行のことを書いていたのかもしれません。このように文学作品は「制作時と発売時で意味に二重性がある可能性」をいつも孕んでいるといえます。
dragon nightも、制作時の深瀬慧氏は何を考えていたのか、発売時に事務所はどのようなイメージで売り出したかったのか、聴き手はどう取るのか、と何重もの意味が渦巻く可能性があります。軽妙な曲調だけにそれを考えてみるのも苦にならないような雰囲気があるところがセカオワの強さだと思います。
そして、深瀬慧氏はdragon nightはおいてハッピーな「昼」を設定していますが、これは普通なら「夜明け」「朝」「休日」などと設定されるものです。「朝」と設定した独自性が冒頭でいきなり聴き手を悩ませている部分があり、この独自性と常識の微妙な位置関係が面白いところです。芸術作品というのは、常識的であったら誰も感動しないし非常識に過ぎると誰も共感できないわけですから、常識と反常識の「隙間」を撃ちぬくことがそもそも求められています。
さらに言うと、冷静に考えればハッピーな「昼」は百万年に一度しかやってこないと歌っていることに気づきます。人の一生は百年もありませんから、和解のときはほぼ絶対にやって来ないというメッセージにも解釈できるのです。
僕と彼はお互いに正義を主張し続けるしか道はない。こういった捉え方すらできてしまう曲であり、もしかしたら適当に作っているのかもしれませんが、マジレスすればとてつもなく深い曲だと言えます。
(貿易会社広報部)
Comment
大晦日の紅白で初めてこの歌を聞いてから、ずっと歌詞がのみ込めずモヤモヤしていたのですが、何だかスッキリしました。
ありがとうございました。
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クリスマス休戦のことだと思ってた…。
まさかイスラム国のことだったとは!
コメントありがとうございます。
歌詞の捉え方はたくさんあり、クリスマス休戦がモチーフだと言う人もいます。記事にもあるように、作詞時期がイスラム国が話題になる前ですので、あくまで一つの捉え方に過ぎません。
深瀬氏は作詞意図をツイートしており、単純に人間関係を表現しているようです。
確かにイスラムと関係ありそうですね…。深瀬さんが持っている旗は綺麗な白ではなく、少し拳銃で打たれ焦げたような痕がありますし…。。。
コメントありがとうございます。
記事中にもありますように、作詞時期が2013年ですので、作詞者はイスラム国とは無関係に作っています。
また、ツイッターで仲直りの歌とつぶやいています。
記事ではさまざまな解釈の仕方として、時期や衣装からして、イスラム国を読み取ってもいいのではないかと書かれています。
ただし演出としてはそういう解釈を多少は予期しているかもしれません。
わたしも、イスラム国のことを考えました
同じふうに思った方がいたのでおどろきました
コメントありがとうございます。作詞の意図は違いますが、紅白の衣装はイスラム国と結びつけることも多少狙っていたのではないかと思います。あまり話題にはなりませんが。。
[…] 対比は今回初登場です。対比だけでなく、比喩を絡めているので少し難しいです。わかりやすく言うと、セカオワの「ドラゴンナイト」が、戦争と平和を対比し、平和の象徴として百万年に一度訪れる夜の「スターリースカイ」を象徴としているのと同じです(参考 セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味をママなりに解釈したざます )。 […]
[…] 2015年10月11日 この言葉はむずかしいところざますけど、深瀬慧ちゃまが「昼」にやや否定的、「夜」にやや肯定的なイメージを持っていると考えるとすっきりするざます。 周りにはいざこざとかトラブルがある中で、やっぱり人は人それぞれで考え方も違う」と述べています。 冒頭で書いたとおり歌詞にはいろいろな捉え方が許される「稼動幅」があるというのがママの考え方ざますから、ツイッターの内容があったとしても anti-war songという捉え方を深瀬慧が否定することはないと思うざます。 つまり「友達同士」「知人同士」あたりにシチュエーションが限定できるざますから、人間関係のしがらみについて歌っていると考えるのがもっとも客観的かもしれないざます。 [引用元] セカオワ「ドラゴンナイト」の歌詞の意味をママなりに解釈したざます […]