セカオワ 深瀬の歌詞に現れた「深すぎる精神の傷」(眠り姫、不死鳥、死の魔法の歌詞の意味)
2015/05/20
セカオワの深瀬が最も恐れているものについて書いてみたざます。
出典:ママが初出演したドラえもん1巻ざます
セカオワ 深瀬の歌詞に現れた「深すぎる精神の傷」(眠り姫、不死鳥、死の魔法の歌詞の意味)
セカオワ深瀬の歌詞に現れた心の傷とは
セカオワの深瀬氏の歌詞をよく読むと心の傷を感じることがあるざます。皆さんはいかがざますか?
セカオワのシングルリスト
1 | 2011年8月17日 | INORI |
---|---|---|
2 | 2011年11月23日 | スターライトパレード |
3 | 2012年5月30日 | 眠り姫 |
4 | 2013年5月1日 | RPG |
5 | 2014年1月22日 | スノーマジックファンタジー |
6 | 2014年4月9日 | 炎と森のカーニバル |
7 | 2014年10月15日 | Dragon Night |
(リンクは「ざます」内の記事に飛ぶざます)
「スノーマジックファンタジー」の歌詞に見る心の傷
スノーマジックファンタジーは2013年末から2014年にかけてJRグループのCMソングとして依頼された曲ざます。そのため深瀬自身も『単行本世界の終わり』の164頁にあるように基本的にはラブソングとしてこの曲を書いているざます。
しかし、深瀬氏は基本的には子どもからお年寄りまで楽しめる「国民歌」を目指しているざますから、一つの曲に重層的なテーマを含ませてくるのが常套手段ざます。 スノーマジックファンタジーの記事に書いたざますが、簡単にまとめるとこの曲は編曲上いくつかの手段で「ハッピーエンド」という言葉があからさまに強調されているざます。
よって極めて重要な主題は「大切な人と出会えれば死はハッピーエンドである」。こういう読み方ができるざます。
2013年末から2014年にかけて深瀬氏が死についてこのように明るい意味を定めることができたのは、深瀬氏がそれだけ長く悩んできた証拠でもあるざます。
死についてざます
全員ではありませんが何割かの人が小学校高学年から高校生にかけて死への恐怖に囚われるざます。
例えばヤフー知恵袋には次のような相談が多く寄せられているざます。
「死への恐怖」
17歳の高校生です。 最近、寝る前など暗くなったりすると、死への恐怖がでてきて、涙がでたりします。
死が怖くないようにするにはどうしたら良いでしょうか?教えてください。
「死への恐怖から逃れるには」
現在高校一年生なのですが、一週間ほど前から「死」がとても怖くて「死」のことばかり考えるようになり、寝ようと思ってから五時間ほどたっても寝れず、今までにこんなことは絶対に無かったのですが号泣したり、嘔吐したりします。
友達と楽しく話していても、授業中でも考え込んでしまい心臓が押しつぶされそうになります。 毎日がつらいです。
本当にこのままでは頭がおかしくなってしまいそうなので助けてください。
このように悩んでいる若い人は多く、この悩みは大人になっても続いていくざます。
私は六歳のころから、心のうちでたえず「死ぬのが怖い!」と叫んでいた。何が怖かったのか。
それは、けっして父や母と別れるから怖いという感情ではなかった。幼い私が震えていたのは、私が完全に「無」になるということ。それは何なのかわからないながらに、ほんとうに冷や汗が出るほど怖かったのである。(中略)
その後しばらくは、放心したようになって、何をする気も起こらない。こんなことが、数日に一回くらいの割合で襲ってきた。街を歩きながら「もう駄目だ!」と私は観念し、涙さえ出てくることもあった。
(哲学者中島義道の文章から)
深く考えるのが仕事である哲学者はもちろんのこと、多くの作家や実業家、あるいは普通の人であってももずっと死の恐怖と戦っている人が多くいるざます。そしてセカオワ深瀬もそのひとりざます。
「眠り姫」の歌詞の意味
セカオワのシングル「眠り姫」は、「スノーマジックファンタジー」の2年ほど前に書かれたざます。
君と僕とで世界を冒険してきたけど (中略)
ある朝僕が目を覚ますと この世界には君はいないんだね
驚かそうとして隠れてみても 君は探しにこないんだ
「眠り姫」の歌詞は分かりやすく、「僕」が「君」がいなくなった後を考えて心を病む歌ざます。死の恐怖に囚われている人は自分の死を恐れるだけでなく、家族やパートナーの死を非常に意識する特徴があるざます。
「眠り姫」の頃、深瀬は「君」という存在に、ただただ自分の死の恐怖を照らし出し恐れおののくだけだったようざます。
Ah このまま君が起きなかったらどうしよう
そんなこと思いながら君の寝顔を見ていたんだ
「どうしよう」と思い悩み、結局どう考えることもできずただ「君」の寝顔を見る描写で歌詞は終わっているざます。
しかしもう少し深く読むと、歌詞の最後の部分の寝顔を見守る光景には安息のイメージが感じられるざます。 「死は永遠に眠るようなもので恐れるに足らない」というひとつの答えが隠されているようにも感じるざます。
「眠り姫」以前の深瀬の死への考え方~「死の魔法」と「不死鳥」の歌詞の意味~
深瀬氏は「眠り姫」のより前にも「死の魔法」と「不死鳥」で死を扱っているざます。 一番古い曲である「死の魔法」には、ただただ「死」へのやりきれなさが綴られているざます。
HELLO 「GOODBYE」
今までありがとう 全て無くなってしまう (中略)
WOW 僕が世界で今まで見つけてきたもの
WOW 僕が世界で今まで造ってきたもの
どうして無くなってしまうの?
せっかく見つけてきたのに
どうして死んでしまうの?(出典:SEKAI NO OWARI/死の魔法)
次にライティングされた「不死鳥」では、死を恐れる「僕」と死の存在を望む「ロボット」が交互に歌うという「複数名の1人称」を使う文学的な構成となっています。
①「僕」は死への否定的観念から永遠を望む
不死鳥よ僕に永遠を与えてください
僕と君ならならホントに怖くないから
地獄だろうと君がいないのならば 僕は君と永遠になるから
②一方ロボットの「私」は死がすべての源泉だと感じ死の運命を望む
もしもこの聖なる星が降る夜が 最初から存在しなかったのなら
あの真っ白な世界を朝とは呼ばないわ
終りのないものなんて最初から始まりなんてないの
神様私にも死の魔法をかけて
永遠なんていらないから
終わりがくれるいまを愛したいの
(出典:SEKAI NO OWARI/不死鳥)
もちろん、①も②も深瀬自身の思いざます。死から逃れたいと思いつつも、「ガラスは割れるゆえに価値を持つ」という格言にもあるように、終わりに価値を見出そうともがいているざます。
深瀬氏はずっと死について考えてきたざます。
・死にさいなまれる自分の悩みをただ書き綴った「死の魔法」
・死のイメージから逃れたいと叫びつつも価値を見出そうとする「不死鳥」
・死について考えることに疲れたのかただ安らかに眠るようなものだ、と自分を納得させる「眠り姫」
このようなプロセスが歌詞に現れているざます。
深瀬氏は、進学や就職のタイミングで社会の都合で友人と離れ離れにされ、いつかは企業の都合で働かなければならないことに対する若い層の漠然とした不満に応えるように、友人とセカオワハウスに住み自分たちで音楽という生きる糧を得てきたざます。 また恋愛に関して以前よりこだわりが薄くなった若い層を代弁する歌詞を書いてきたざます。
ほかにもいろいろあるざんすけど、若い層の何割かが悩む死への恐怖にも答えを出そうとして来ているざます。 セカオワは若い層の「鏡」ざます。自分に関心がない人はいないざますから、これからもきっとセカオワは売れ続けるざます。(ママ)
生きることは・・・
原稿が久しぶりになりましたが、ママ、有難うございました。 しばらく家族で四畳半島に行かれていたみたいですね。
さて、死の恐怖については、高校の倫理の教科書にハイデガーの人間は「死への存在」だという言葉が出てくるように比較的メジャーな悩みです。しかしながら、あまり人に相談することではないので、自分だけではないかと思っている人も多いようです。
死への恐怖にさいなまれている人は次のような特徴を持っています。
・小中学生くらいから定期的に特に夜に恐怖を感じる(「死の魔法」はここ)。
・20歳以降だと、自分が病気にかかっているのではないかと不安になる。
・家族やパートナーの死が必要以上に心配される。
・心霊写真や幽霊を恐れる。
・家畜生産に関する映像を見て非常に同情し、菜食主義に興味を持つことがある。
そして死の恐怖を克服するためにさまざまな考えを巡らせます。
・仕事の実績や建築物、彫像などで自分の生きた証を残すしかないと考える。
・文章、書物や絵などで自分の生きた証を残すしかないと考える。
これらは比較的自己中心的な世界観になっています。
少し年齢を重ねると次のように考える人もいます。
・人間が環境に適応し進化するためには死は仕方なく、先祖の死がなければ自分は存在していないと考える(「不死鳥」はここ)
・自分の子に遺伝子を引き継ぐことで少しでも長く存在したいと考える。
・自分は人間という種の遺伝子のリレーの一部であり、役割を全うするしかないと考える。
発想が自己中心でなく、先祖、子孫、人間という種まで広がってきています。
また、死に関する本や記事を多く読むと次のように考えることもあります。
・死はとても心地が良いもので恐れるには足らないと考える(「眠り姫」はここ)。
・病気の治療に関して、苦しまず自然に死に至る方法もあると知る。
深瀬の歌詞には2番目のグループの自己中心的な世界観があまり見られないのも特徴です。人が好きなのでしょうね。
「好きな人に出会えたら死はハッピーエンドだ」という捉え方が現在の深瀬氏の到達点(スノーマジックファンタジー)かと思いますがこれはなかなかの説得力だと思います。
「眠り姫」の歌詞のような理屈ではなく、感覚的に死を肯定できるというのが、死の恐怖を乗り越える重要な方法だと思います。
理性をつかさどる顕在意識は人の脳のほんの一部。大半が感情や身体の調子に左右される潜在意識だと言われています。そのため「仕事の実績や建築物、彫像」を残すなど理屈めいた考え方では、死の恐怖から逃れられたとしてもほんの一瞬です。
自己中心的な自分を乗り越えて、先祖、子孫、愛する人とのつながりを感じ自分をそのつながりの中に昇華できるとき、人は死への恐怖を「当面」乗り越えることができるのです。死への恐怖=自己の消滅への恐怖=自己中心的な世界観、と等号を結べますから、当然と言えば当然の話でした。
(貿易会社広報部)
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