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センター試験国語を「ツイッター論」と決め付ける軽薄さ(評論の本文解説)

      2015/04/26


センター試験の国語(第1問 近代以降の文章)で「ツイッター」が登場したと話題になっているざます。

写真
出典:ママが初出演したドラえもん1巻ざます

センター試験国語を「ツイッター論」と決め付ける軽薄さ(評論の本文解説)

センター試験国語をツイッター論と騒ぐネットの軽薄さ

センター試験の第1問「近代以降の文章」にツイッターについて論じた文章が登場したざます。ネットの反応は予想通りで、ろくに中身も読まずただ話題に乗りアクセスを集めるだけの記事が多数登場したざます。

・まさかの「クソリプ」「パクツイ」がテーマに取り上げられた2015年センター試験国語はこんな感じ
・センター試験国語の問題文にTwitterの「クソリプ批判」が登場し話題に
・センター試験の国語でツイッターによくいる「教えてあげる君」批判ww

センター試験で「ネタ」になる文章が登場する理由とは

キャプチャ

出典:大学入試センター試験2015年国語

センター試験では過去にも受験生やその周辺で話題となる文章が登場してきているざます。

・2014年度「快走」岡本かの子 … かけっこに興じる娘が心配で後をつけてきた両親が、ふと童心に帰り「おほほほほほほほほほほ」などとはしゃぎまわる描写が話題に。(実際には、青春時代の思い出に興じる両親の笑い声を通じて、戦時の抑圧された雰囲気を浮き彫りにする表現)

・2013年度「鐔」小林秀雄 … 刀の鍔(つば)=握った手を支える出っ張った部分、に関して小林秀雄が妄想を広げる謎めいた文章として賛否両論。(結果として論理的な思考に偏重し随想を軽視してきた受験業界に一石を投じた形)

・2012年度「たま虫を見る」井伏鱒二 … なかなか人とうまく接することができない主人公が人生の壁にぶつかると、「たま虫」が光り輝く異色の文章が話題に。(たま虫が主人公の葛藤と脱皮を象徴するハイレベルな文学作品だった)

・2011年度「海辺暮らし」加藤幸子 … 海の家の元気なおばさんの話だが、途中唐突に海辺の死をイメージさせる幻想的なシーンになりそのまま終わり話題に。(実は水俣病を告発した話だった)

・2009年度「かんけりの政治学」栗原彬 … かんけりの面白さが「資本主義に蹴りを入れること」に通底するという深すぎる文章が出題された。(受験生や若い層が感じている得体の知れない圧迫感を解き明かす内容)

これらが最近のセンター試験国語の話題の文章ざんすけれど、どれも名作ざます。 センター試験の作問委員は大学教授などかなりの力量の持ち主が選ばれているざます。彼らが読んだ大量の書籍の中から、高校生を引き付けることができ、さらに現代的な課題を含んだ良い文章が選抜されているざます。

ママはときどき本を買う代わりに現代文の過去問集を買うことがあるざます、なぜなら、現代文の過去問集はいろいろな大学の教授が、読破した多くの本から短時間で読めるちょうどよい長さのハイライトだけを選んでいるからざます。どの教授も単純に国語力を問うだけでなく、できるなら高校生のためになる文章をとの熱意が強いざんすから非常に良い文章が選ばれているざます。このように入試現代文は現代思想の「ベスト版」ともいえる位置づけざます。さらにセンター試験は選りすぐりの作品が選出される紅白のようなものざます。

しかしながら、ネットの反応はきわめて表層的ざます。

・2014年度「快走」岡本かの子 … 「おほほほほほほほほほほ」だけが話題となり、戦争がいかに日常生活を暗澹たるものにするのかという本来の趣旨は多くのサイトのライターが読み込まなかった。

・2013年度「鐔」小林秀雄 … 分かり難い、ぶっ飛んでいるなど、読解を投げる意見や、論理的な文章を出さなければ意味がないとする大学入試センター批判に終始した。

・2012年度「たま虫を見る」 … たま虫の描写の面白さに注目が集まったので、比較的順当な反応だったが、たま虫が人との交流に苦手意識を持ち続けて主人公の葛藤と脱皮(気づき)を象徴するということをきちんと説明したサイトは見当たらなかった。

・2011年度「海辺暮らし」加藤幸子 … 早い段階で水俣病批判だと見抜いたサイトがあり、それが伝播しネット文化の機動力を良い方向に生かせた事例だった。

・2009年度「かんけりの政治学」栗原彬 … 大学入試センターは思い切って資本主義批判を提示したが、ほとんど理解されなかった。

このように、「海辺暮らし」のときのようにネットの機動力や多くの人の知恵が生かせる特性がうまく生かされたこともあったざますけど、特にここ数年は表層的な表現を取り上げアクセスを集めたら終わりというケースが目立ったざます。

大学入試センターは、食いつきやすい作品で問題提起をしたいという非常な熱意を持っているざますけれど、なかなか理解されないのは残念ざます。

2015年センター国語は「ツイッター論」なのか

キャプチャ

出題された文章で、作者はツイッターには他者を啓蒙することに喜びを感じる「教えてあげる君」が存在し、常に知識を持たざる人を探して徘徊しているようだと述べているざます。

筆者はここでツイッター論を述べたいわけではなく、啓蒙される側に回ったほうが得なのにと感想を述べるにとどまっているざます。そもそもツイッターは中高生の圧倒的な支持を得ているメディアざんす。この年代は視野を広げて深く考えることよりも「面白い知識を集めること」に興味がわきやすい年代ざます。「教えて君」がいれば、自分が教えて欲しいのだから人も当然それが嬉しいはずだと考えている「教えてあげる君」が存在して当たり前ざます。

この部分は筆者が現象を説明して感想を述べただけで、ツイッター論とは言えないざます(この部分は前の部分からの続きで、正確にはそこも読む必要があるざんすけれど、センター試験に出題された部分からはツイッター論は何も読み取れないざます)。

2015年センター国語は「ツイパク」に一言も触れていない

筆者はツイッターの話題あと、「ところで、ではどうして……」と話題を変えてパクリ・盗作の話題に移るざます。大まかにいえばこれだけ音楽などの文化が長い歴史を持つ以上、似てしまうのは仕方がないと述べているざます。ネットの中にはこの部分を他人のツイートをあたかも自分のもののようにパクること(=ツイパク)を論じていると考えている人もいるざますけれど、「ところで、ではどうして……」ではっきり区切られている以上、明白な誤読ざます。

最初のツイッターの話を読み(この話は簡単だと)興味を持ち、続きを読むときに、作者が話を変えているのに勝手にツイッターの話だと思い込んで独自に解釈しているということざます。ママが女学生の頃だったらこんな誤読を披露してしまったら恥ずかしくて学校に行けなかったざんすけれど、今はそういう時代ではないざます。ツイッターでは誤ったツイートをしても知らん振りを決め込めば過去に消えていくざますし、ブログも書き換えが可能ざます。ママみたいに真面目に文章を読んでいたら損ざますね。

筆者はパクリ・盗作を生み出す背景としてのこれまでの文化の多様な蓄積にマイナスイメージを持つ人がいる理由をズバリ指摘しているざます。ネットが過去の蓄積の塊に一瞬にしてアクセスできる仕組みを構築してしまったことによるということざます。たとえば折角良い物語を考えて披露しても、誰かが一瞬にしてネット上から似た話を探してきて「パクリ」と批判してつぶしてしまうようになったとおうことざます。これは重要な指摘だと思うざます。でもこの部分は肝心のネットではまったく話題にならずに終わりそうなのが残念ざます。

センター試験直後のツイートから国語の問題を知り、それに表面的にまとめて世に出しアクセスを稼ぐ「教えてあげる君」がたくさんいるざますが、彼らは今回の文章を次のように読んでいるざます。

・読んですぐ分かる部分(今回ならツイッターの話)→ 記事に使用する

・薄っすらと分かる部分(今回なら盗作の話)→ 自分が了解している範囲の「ツイパク」の話だと決めてしまう

・一読して分からない部分(今回ならネットが文化の多様性にネガティブなイメージを与えかねないとの指摘) → なかったことにする

確かにネットはスピードが勝負で、分からない部分に付き合っていたら話題が去りアクセスは来なくなってしまうざます。ただ、深い文章も読める未知の可能性もある高校生もそういったネットの分析に流されて、読み返すことをしなくなってしまうとしたらもったいないざます。

今回の文章のタイトルは「未知との遭遇」。ネットのまとめ人たちは忙しくて未知と遭遇している場合ではないのはわかるざます。読み手がネットのそういう特質を理解したうえで、1時間くらいは「未知との遭遇」の文章を読んでみることもママは大切だと思うざます。(ママ)

センター試験国語について

今回はママがいつになく真剣に文章を書かれたようです。確かに話というのは「つかみ」と「本来の趣旨」というものがあります。センター試験の国語の文章も同様だったようですが、センターシケン直後から「つかみ」について言及した文章のみがネット上に流れ、ほとんどの人が読んだつもりになって忘れてしまうだろう、というママの指摘は最もだと思います。

今回のセンター試験国語の近代以降の文章(第1問)は3つの部分から成っていました。

1 ツイッター利用者にありがちな「教えてあげる君」現象の紹介

2 ネットの発達により過去から蓄積が、時間概念が抜け落ちた「塊」として一瞬にしてアクセスできるようにまとめられ、独自に創作したものもパクリ、盗作と談じられる可能性が高まってしまっている。

3 ネットの発達は同様の仕組みで歴史観すら変えてしまいつつある。

このように私はまとめてみました。2、3は本当に深い内容で、これらが「ツイッターが出てくる軽い文章だった」「受験生に迎合して軽い文章を出す必要があるのか」「ツイパクについて書かれている」などと、誤った方向性で理解されていくのは本当に残念です。現在は確かに書籍は読まれなくなりました。しかし、大人たちが分かりやすい切り口で深みに誘い込む文章を選びセンター試験に参加した50万人ほどに読ませるの事業の邪魔をするのはどうかと思います。多くの高校生がきちんと説明されれば、深い文章をナルホドと思う力を持っています。ネットのまとめ人達がそういうチャンスを摘み取っているような気がするというのがママの主張かもしれません。

しかしながら、ネットで騒がれたことで多くの大学生や大人たちがセンター試験のこの文章に気づいたのも事実。彼らがきちんと読んで高校生に教えてあげればよいと思います。そういう意味でママがおっしゃるほど「ツイッター論」騒ぎは悪いものではないのじゃないかなと私などは思いました。

ちなみに、3 ネットの発達は同様の仕組みで歴史観すら変えてしまいつつある。については以下のような内容でした(引用)。

取り上げられた文章では、書籍文化がネット文化へ変遷してきたことによって歴史観が変わりつつあることが指摘されています。

我々が歴史を捉える場合、以前なら過去のある時点に起点を起き丹念に時の流れや因果関係をたどり線形の時間の流れとして歴史を捉えるのが一般的でした。文章には「過去から現在を経て未来へと流れていく『時間』というものが、そのあり方からして『物語』を要求している」と書かれています。(中略)

確かに、以前は織田信長を知りたければ歴史書を紐解いたものですが、現在はネット上に気軽なまとめが存在しています。このことは、先々、我々が歴史を点として認識することに繋がっていくのではないかということです。時間と表裏一体であった「歴史」から時間概念が捨象されていくということです。従軍慰安婦の問題にしても、ネットでニュースを見る人が増えているいま、前後に何が起こり何が確かな出来事だったのかという時間の前後関係を丹念に見る人が減り、その出来事があったかなかった程度の二分法的な見方に変化してしまったかもしれません。

詳細は引用元(ヨルタモリ李澤教授はセンター試験を的中できるか)をご覧ください。

(貿易会社広報部)

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