セカオワ さおりの過去~子供の頃のいじめや深瀬との哲学論議~
2015/08/01
謎も多いセカオワのさおりさんの過去と現在ざます。
セカオワ さおりの過去と現在
出典:ママが初出演したドラえもん1巻ざます
セカオワ さおりの過去~子供の頃のいじめや深瀬との哲学論議~
セカオワ さおりの過去
セカオワ(SEKAI NO OWARI)のさおりさんは、1986年8月13日大阪生まれざます。あまり関西人の雰囲気がないのは、大阪に実家と生まれた病院があるくらいで、どちらかというと東京を拠点にしていたからざます。5人家族で弟が2人。スポーツ好きな家族で、ピアノや音楽に興味を持つ環境ではなかったとのことざます。
さおりはテレビ番組の取材に「私の夢は、深瀬の夢を叶えることだと思う」と発言。理解できないと思っている方も多いざますが、母親の影響が強そうざます。非常に面倒見がよく、例えばさおりの弟の友人が登校拒否になった際には、母親がいないことにも原因があると感じわが家から通いなさいと命じたくらいざます(実際に1年間その子を預かったざます)。
幼い頃から自意識は強く、周囲から嫌われ友達ができずに悩んだことも多いざます。小学生のときにはグループを組むときに余ってしまったり、ランドセルに死ねと書かれたり。不良に目をつけられていじめられた深瀬とは比べものにならないくらい本格的ないじめを受けていたざます。
中学に上がっても友達はできず、5歳から始めたピアノが弾けることだけが心の支えだったざます。
一般的に学校では「人気者グループ」「中間グループ」「趣味に走るグループ」の3つの層ができることが多いざます。
出典:http://lab.guestplace.net/sc.html
この図だと不良グループが一番上に君臨しているざんすが、ヒエラルキーの枠外に存在することも多、いざます。
さおりは小さいころから両親や二人の弟に大事にされて育った女王様タイプざます。友達と対等に付き合うのは苦手で、大人しめの取り巻きを得て面倒を見ていくような1軍のポジションがふさわしかったざます。
でも小学生の頃、1軍タイプの気が強い女子と対立してどのグループにもいられなくなってしまったざます。小学生の頃は上の図でいう青色の「ボッチ、便所飯、いじめられっこ」のポジションながら、ピアノができることを支えに気丈に学校に通い続けたざます。
中学で初めて友達ができたさおり
中学に入ると何とか居場所を作ろうとまず「オタク、ガリ勉、運動音痴、不思議ちゃん」といったグループにアプローチするも、まったく相手にされなかったざます(もともと1軍タイプの性格ざますから急にすり寄っても相手にされないざます)。そして最終手段としてヒエラルキーの枠外の不良(ヤンキー)グループに近づき、ようやく仲間に入れてもらい「ボッチ」から抜け出し友達ができたざます。
さおりは女子特有の馴れ合いが苦手だったざますから、中学になって男子とはうまくいくようになったざます。このことは現在のセカオワの紅一点という環境の原点ともいえるざます。ヤンキーが板につき、男女交際も始めるようになるとようやく立ち位置を確立したざます。
そして音楽系の高校では共通の目標があるライバルばかりになり、人間関係の悩みは減っていったということざます。そして高校を中退して暇を持て余していた深瀬と毎日哲学議論(死刑についてなど)をするようになったざます。この辺りの時間にもセカオワの原点があるざます。
ママが思うのは人生には誰にでも「ぼっち」の時間があるということざます。さおりは幼稚園の頃から周りとうまくいかなくなり始め、小学生の間はずっと「ぼっち」だったざます。深瀬も中学で不良に目をつけられ「ぼっち」を体験しているざます。
このような時間を「自分を見つめ直すことができるから」と肯定しようとする人もいるざますが、自分を見つめ直さなくてもいいからぼっちではいたくないという人の方が多いと思うざます。ママが真実だと思うのは、こういう問題は全て時間が解決するということざます。ただただ時間をやり過ごせばいいと思うざます。でももし余裕があれば、自分を磨く勉強を友達にじゃまをされないその時間にしておくと良いざます。(ママ)
参考資料 単行本「世界の終り」を参考(画像をクリックすると読者の評価を見られるざます)。
セカオワさおりの過去まとめ
・1986年8月13日大阪生まれで主に東京で育つ。父母と弟二人。女の子として大切に育てらて、特に母親の人を育てる姿勢に影響を受ける。
・小学生の頃はマイペースで強気な性格が災いしいじめを受けるが、ピアノが弾けることでプライドを保ってゆく。
・中学では同級生の深瀬には「いじめられる側にも原因がある」「それはいじめられる」と直言され始めて反省。クラスを渡り歩きようやく不良に仲間入り。
・高校は音楽系のため人間関係の悩みは減り、信頼する深瀬と哲学談義に明け暮れる。音大へ進学し、卒業後セカオワ(世界の終り)に参加。
生きることは難しい
今は貿易会社に勤めていますが、前職の社長が「友達を作らない人」でした。
幼いころから勉強もできたようで、小学生の頃からずっと取り巻きがいたそうです。大人しく自分に従う人ばかりと付き合い、対等な友達はいなかったのではないでしょうか?入社してからも、自分に従う人を重用し、意見が異なる人は別の会社をつくらせ追い出してしまいました。
こうしてこの会社は、社長を恐れてビクビクし従う人ばかりになってしまいました。会議はいかに社長の機嫌を損ねないかが焦点になっていました。ずっと業績は伸び悩んでいますが、社長が子息を後継者に指名し迷走を始めていると聞きます。自己主張が強い人ほど面倒見が良いもので、決して悪い人ではなかったのですが、人と人の関係は難しいなと思います。
もしあなたが多少なりとも自分の考えがありそれを実現したいのなら、鏡のような存在になってほしいと思います。多くの人の話を聞きその考え方をよく理解し、あなたが鏡のように相手の意見を映し出します。すると相手はあなたを信用してくれるでしょう。そして相手があなたと同じ考えを言うまで、粘り強く情報を提供していきます(説得してはいけません。材料を提供するだけです)。
あるとき相手があなたと同じ考えを口にするタイミングがあるかと思います。そのときにあなたという「鏡」はその言葉を繰り返すことで相手が放つ光を反射して、相手は前に進んでくれます。自分が正しいと思い込み、光を浴びせ続けるだけでは、相手は目が眩み何もしてくれなくなってしまうものです。
(貿易会社広報部)
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Comment
幼い頃こら自意識は強く、周囲から嫌われ友達ができずに悩んだことも多いざます。小学生のときにはグループを組むときに余ってしまったり、ランドセルに死ねと書かれたり。不良に目をつけられていじめられた深瀬とは比べものにならないくらい本格的ないじめを受けていたざます。
の、幼い頃こらは幼い頃からですよ。
あんこ様
ご指摘ありがとうございます。現在海外からのスパムコメントが多く、コメントの確認が遅れており返信が遅くなり失礼しました。
ご指摘の誤りは修正いたしました。