元少年A手記「絶歌」の内容・感想と出版の是非への意見ざます
2016/02/18
元少年Aの手記「絶歌」の内容・感想と出版の是非ざます。
出典:ママが初出演したドラえもん1巻ざます
※スネちゃまは現在大学生ざます。
元少年A手記「絶歌」の内容・感想と出版の是非への意見ざます
元少年A手記「絶歌」の内容
元少年A手記「絶歌」内容の要旨ざます。
第一部 … 事件に至る心理状況を自己分析。
「名前をなくした日」(=14歳の逮捕当日)の節から始まり「審判」(=判決の日)の節まで事件の全容と自らの心理状況を分析している。収監直後、罪を犯した痛みを感じていないことにショックを受ける。その背景として、世間の中学生とは異なりアイドルではなく犯罪者にあこがれていたことを明かす。さらにその背景として小4の頃の祖母の死を挙げる。
犯罪に結びついた性向として、猫を殺(あや)めた場面に関してどのような精神状況であったかが克明に記されている。例えば目をえぐられ弱ってゆく猫を見て「胃のあたりを無数の小さな蟻が這い回っているような擽(くすぐ)ったさを感じた」「心臓が大音響でドラムを叩く」「その演奏に呼応するようにもう一つの心臓が首を擡(もた)げた」と高ぶる内面の感情や性的衝動を描写している。犯行の際に使った酒鬼薔薇聖斗は自作の漫画に登場した人物名。この後、精神鑑定医や父母とのエピソードがあり神戸家庭裁判所の判決へ。
第二部 … 社会復帰してからの生き方や「小説家」として生きる道を探る内容。
関東医療少年院での出来事は省かれ、21歳の社会復帰後のことが記されている。3人の監察官とともに、被害者の父親の仮釈放(正式には仮退院)を受けての会見をテレビで見ながら黙とう。家族の身元引き受けの申請を辞退し、短期間の更生保護施設住まいを経て里親(夫婦)のもとへ。東京を離れる。その後被害者の親の手記を読み精神的に不安定になり服薬。半年後保護観察期間が終わり工場へ就職。一人暮らしを開始。仕事は半年しか続かず各地を放浪後、建設会社に採用され寮へ。2年ほどで会社都合で解雇。日雇いでつないだ後、ようやく少年院で得た溶接工の技術を生かす気になり就職。技術を持つ溶接工の仕事は順調だったが最終的には無職となり本を出版して生きていくしかないと思うに至った。
全体として文学色を高める工夫が目立ち不快感を覚える人もいるかもしれないざます。例えば節の名称も「生きるよすが」「原罪」「蒼白き時代」「咆哮」など文学的な言葉が目立ち、文中の表現もくすぐったさを「擽ったさ」、もたげたを「擡げた」と表現するなど、やや難解な漢字を使い文学色を高めているざます。またタイトルの「絶歌」は舌禍(=言葉が社会を惑わすこと)との掛けことばの可能性(または歌うことが絶えた人生の比喩か)。さらにドストエフスキーの「罪と罰」を引用するなど文学作品さながらの筆致も散見されるざます。
多くの一流作家は私小説として自己の葛藤を文学的に表現してきたざますが、元少年Aの場合は、舞台や作中人物の創造がなく事実と自己分析を書き綴っただけ。文学的な装丁を施したとしても小説というのとは少し違う気がしたざます。
元少年A手記「絶歌」の意味
元少年Aの手記「絶歌」というタイトルの意味。漢文読みすれば「歌を絶つ」ですから、まずは犯罪により歌うことの絶えてしまった自身の人生の象徴の可能性があるざます。少しひねるなら2人の被害者から歌を絶やしてしまったこと、その家族から歌を奪い取ったこととも考えられるざます。
また絶歌は「ぜっか」と読むのですから「舌禍」にもつながるざます。舌禍は 「自分の言論が法律・道徳などに反していたり、他人を怒らせたりしたために受けるわざわい」(小学館『デジタル大辞泉』)の意味。今回の出版が遺族の逆鱗に触れることを予期しての題名とも言えるざます。
元少年A手記「絶歌」の感想例
・自分が被害者の立場だったらと思うと悔しくて仕方がないと思う。
・遺族の心の傷に汚い塩を塗り込むような奴らに金(印税)を渡すな。
・斬首で銭を稼ぐ太田出版の悪質さ。
・印税の全てを被害者家族に送るべき。
・実名で出版するべき。
・自己陶酔と強い自己顕示欲が行間から溢れている。
・自分に酔ったような大仰な言い回し、ラノベかと思わせる凝った章タイトル。本当に反省している者が書く文章ではない。
・最後にとって付けたように謝罪文が付け加えられているが、この文章と文中の(装飾に溢れた)文章を見比べると同じ人間が書いたとは思えない。
・件に至る出来事を垣間見ることで保護者や学校関係者は事件を未然に防ぐ措置がとれるかもしれない。
・この先子供と育てるかもしれない、子供と関わることがあるかもしれない以上、私はこの本を読めてとても良かったと思う。
・(本を読みもせずネット上の)人の言葉を借りて、「価値が無い」「気が知れない」とこうまでも断言している風潮(は問題がある)。
※アマゾン『絶歌』の書評を参考にしています。
元少年A手記「絶歌」の感想の傾向
感想を整理すると以下の通りざます。
・遺族への配慮のなさへの戒め(多数)
・初版だけで1000万円を超えると見られる印税を元少年Aが受け取ることへの批判(多数)
・文学的な体面を装いながらも稚拙な自己陶酔に過ぎないという文学的批評(多数)
・匿名による出版への違和感(少な目)
・凶悪犯罪を未然に防ぐ手立てや子ども(人間)の心の闇を知っておく材料として評価(少な目)
・本を読まずにネットの情報だけで元少年Aの罵ることへの警鐘(かなり少ない)
ちなみに印税の使い道に関して少年Aは「被害者への賠償金の支払いにも充てる」と発言しているということざます。あえて「にも」という表現を使ったところが狡猾ですが、本人の生活もあるので仕方がない面もあるざます。
本の最後は遺族に対しての謝罪文。遺族を苦しめることが分かっていたが「どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません」と書かれているざます。社会から「少年犯罪」を表す記号としてモノのように扱われ、興味本位や嫌悪感の対象にされ続けた。その苦しみを解き放ちたいという動機はよく分かるざますが……。
犠牲になった土師淳君や山下彩花さんの写真を見ると、やはり元少年Aはどんなに葛藤があり苦しくとも我慢すべきであったという風にも思うざます。
遺族への配慮は大切だが、法や司法基準にすべき
今回、元少年Aの手記「絶歌」の出版に関して遺族感情を考えて出版を差し止めるべきという意見が目立ち、遺族からもその声があがっているざます。遺族のお気持ちはよく分かりますが、罪に対する感情は数字で測れるものではなく人それぞれざます。例えば、罪を償った芸能人がテレビに復帰すれば、顔を見ただけで罪を思い出すから出ないでほしいという人がいるのも事実。人と人の利害の違いはひとりひとりの感情に注目しては永遠に解決しないことから、損害賠償など法や司法の基準で決めることになっているざます。個人の気持ちを尊重していた時代には敵討ちが認められていたざますが、いまは法や司法に任せる形の社会になっているざます。
この辺りの事情もあり、今回は元小年Aや出版社に社会的にプレッシャーをかけるのでなく、あくまで遺族が損害賠償を提訴すべきだとママは思うざます。社会的なプレッシャーというのは、言論の自由にも触れてしまう部分があるざます。アメリカやオーストラリアの多くの地域ではでは出版そのものは認めるが、印税は遺族や社会福祉のために使われることになっているざます。
元少年Aの母親も手記で多額の印税を手に
出典:楽天(画像はクリックできます)
今回一番の問題だと思うのは、元少年Aの母親が手記を発売し多額の印税収入を得た時点で、アメリカ(通称「サムの息子法」。州にもよる)やオーストラリアのように印税を遺族や社会福祉に還元する制度を作っていなかったことだと思うざます。このときに、犯罪の加害者被害者の利害のバランスを取る法制度を整えておけば、親子二代にわたり犯罪で金儲けをするという事態を許すことはなかったざます。今回は元少年Aや太田出版が批判されるのは最もざますが、彼らにも生活があるざます。母親の手記のときに制度作りを怠った私たちの側にも反省すべき点はあるざます。
(ママ)
関連記事(この記事の最後にもリンクあり)➡元少年A手記「絶歌」の意味 冤罪説は本当なのか
消えた自己を再確認するための出版
僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な「記号」になった。それは多くの人にとって「少年犯罪」を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、不気味で、おどろおどろしい「モンスター」を表す記号だった。
出典:太田出版「絶歌」
少年Aは自分の責任とはいえ、本人の人格を全否定され少年犯罪の代名詞のように鋭い追及の視線あるいは興味本位の視線で流行の「記号」としてもてあそばれた。これは同情すべき点もあります。消えた自己を再確認するために文章化し関心がある人に読んで欲しかったというのは全く理解できない感情ではありません。
例えば最近増えている痴漢の冤罪。それまでの人生を全否定され痴漢の前科者としてのみ評価されることになったらさぞ大変なことでしょう。もちろん少年Aの罪は冤罪ではありませんが、もし少年Aが本人として認められる仕事を得ていたら今回の出版には至らなかった気もします。
お詫びと訂正
文中に「もちろん少年Aの罪は冤罪ではありませんが」という記述がありますが、冤罪とする説があるとのコメントを頂きました。調査した結果、ネット上の一般の意見だけではなく弁護士など専門家による冤罪説も提示されていました。
冤罪であるのかそうでないのかを意見する趣旨の記事ではないため、判断は差し控えますが、客観的な背景の把握が不十分であったことをお詫びし、冤罪説の存在を提示させていただきます。
人の心理をもう少し社会が勉強しないと危険
今回の騒動で気になるのは少年Aの心理を異常として正常な者の立場から切り捨てる論調。しかしフロイトやユングが明らかにしたのは、人の心は常に2つの相反する側面が同居しているということです。とても誠意があり大人しい人は、深層心理に必ず邪心や破壊的な衝動を抑え込んでおり、それは夢の中で発散されていると言われています。またすべての人が生きる欲望とともに、自殺願望を深層心理で抑え込んでいるのは有名な話です。私は正常であなたは異常と切って捨てるのは簡単ですが、それは「健常者」のおごりでもあります。このおごりは必ず差別や戦争につながるものと思います。もちろん元少年Aが印税で焼け太りするのを許すわけではありませんが、司法が死刑にしなかった以上、私たちが受け入れるしかないということは言えると思います。
(貿易会社広報部)
関連記事
写真の記事 ➡元少年A手記「絶歌」の意味 冤罪説は本当なのか
Comment
いつも楽しく読ませて頂いております。
今回も鋭い切り口で、大変勉強になりました。
ただ、一点残念に思うのは、
「日本人も過去には戦地で競うように人を殺めてきた歴史があります。」
という一文です。
何の史実に基づいてか、どういう観点からの記述なのかが疑問です。戦争中の日本軍の行動については、意図的なバイアスのかかった捏造も大変多いようですので、信憑性のある記述をお願いしたいです。
ミッキー様 コメントありがとうございます。
早速調査いたしましたが、日本軍は民間人に対し不必要な暴力行為を多く行ったとの説、他国軍と同等という説、比較的良心的だったという説が混在していました。
ご指摘いただいた部分は文意から必ず必要という記述でないこともあり、記事から削除させていただきました。
削除した内容「日本人も過去には戦地で競うように人を殺めてきた歴史があります。それはわずか65年前のこと」
必ずしも当ブログが日本軍は良心的という立場に立つという確証をつかんだわけではありませんが、日本軍のあり方については読者の方それぞれのご意見を尊重するということになります。
みんな人に迷惑をかけて生活しているし。
この少年Aが間違った生きかたをしていると感じるなら。
他人の子供が、違和感ある行動してる時、叱るし>_<理由を知りたくなる>_<。
でも。
私は関わりたくないから、笑顔でスルーしてます。
Yoko様 コメントありがとうございます。
叱るというのは、しっかりした愛情の裏返し。
元少年Aは叱ってくれる人に出会えなかったのかもしれません。
重大犯罪者の社会復帰は難しいようで、パリのカニバリズム事件の犯人も、結局は元犯罪者をネタに仕事をしてきました。
重大犯罪者は、怖いもの見たさの大衆に迎合するのしかないのかもしれません。
その怖いもの見たさの感情が肥大化したのが犯人ですから、大衆イコール犯人なのだと思います。
本を買いたくなるのは、内なる劣情が存在する証拠だと思います
。
もちろん少年Aの罪は冤罪ではありませんが???
いや、これ以上怪しい事件などそうそうないだろうに
冤罪と言うのはおぞましい思惑とこういう無知な思い込みが生むのだろう
匿名様
コメントありがとうございます。
例の事件に関して、冤罪説が多数出ていることを承知しておらず、客観性を欠く記事となっておりました。
早速記事内に修正を加えました。
気になったのでコメントを。
冤罪であれば誰がこの本を書いたのですか?冤罪である可能性なんてもうないでしょう。
匿名様 コメントありがとうございます。
現在海外からのスパムコメントが極端に多く、コメントの確認が遅れております。
http://zamasu.jp/syounen_a_zekka-2-1100
の記事にママが書かれましたように、共犯が別にいるという説に立つならば、
・元少年Aの供述に事実との矛盾がある
・元少年Aが出版をした
に矛盾はなくなるかと思います。
しかしながら共犯であれば、厳密には冤罪でなく、正犯としての冤罪ということになってきます。